人生のネタバレ。


個人的な話し

ちっちゃい時

「自分のお金はいつか無くなる」

でも

「人」のお金は無くならない。

だから「ちょうだい」って言えば

いつでも貰えることを体感で知っていた。

でも、
「ちょうだい」が言えない
子供だった。

何故そうなったのかな?


最近、
お金=愛情=空気
だということを学んで
全身で体感している。

お金も愛情も
貰って使って、
愛されて愛して、
いくら繰り返しても
無くならない。

いくら
吸って吐いてを
繰り返しても
空気が無くならないのと同じ。



僕の場合で言うと

ウソがバレるのを怖がっている子供だった。

どんなウソをついていたのか?

「いつもちゃんとしてないと嫌われる」
「楽しいフリしてないと嫌われる」

「怖いのに平気なふりしてないと…」
「人と違うこと思ってもフツーの人のふりしてないと…」

素直な感情にフタをして
ウソの表情を演じるこどもだった。

そうしていれば、
嫌われずに済んだから、
ウソをつき続けた。

子供のころ
嫌われることは
「死」に等しい恐怖を感じるからね。必死だったのだろうな〜。

「ウソがバレたら
もうお終い。この世の終わり。」
ぐらいに思い込んでいた。
いつも人の目を気にして
ビクビクしている子供だった。


ホントは
そんな遠い過去のこと
どうでもいいのでしょうが、
子供の頃に解消出来なかった
「ウソの恐怖」は
いつしか
「現実の今のモンダイ」として形を変えて僕たちを悩ませるみたい。

でも、それ
そもそも「ウソ」ですから。



子供の時、
小児喘息を患ってました。

発作が起きると

優しくされる

学校をサボれる

愛情を手に入れられる

っていう

ねじれた安心感を握ってました。



この捻じれた安心感を

手放す(=バレる)

と、

「もう終わり」

「取り返しつかない」

って不安でいっぱいでした。



っていうか

バレたら何なの?(笑)

何が終わるの?(笑)



「嘘がバレたら、もう、お終いだ~」
ってもう、
そのウソを終わりにしようよ。

子供の時の

あの不安感は

「まぼろし」だったんだ。



「自分のお金はいつか無くなる」

でも「人」のお金は無くならない。

だから「ちょうだい」って言えば

いつでも貰える。

同じように、

子供の頃に

受け取れなかった愛情は

「無かった」のでもなく
「無くなった」のでもない。

ずーっと「ある」から

それをただ

「受け取る」だけでいい。

素直に

「助けて下さい」
「愛情が欲しい」
「怖いんです」
が言えたらいい。

もちろん言えなくても
ずーっと
いつまでも
いつでも

愛はある。


実は、
嘘も不幸もぜーんぶ愛なのです。
仕込まれたネタなのです。



人生を極楽に。
    仕事は娯楽に。
        遊びこそ真剣に。

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