「ぶりっ子」考
僕はぶりっ子が好きなんです。
何故かというと、
ただ単純に可愛いから。
仕草だったり、言動だったり。
でも一般的には、
「ぶりっ子は嫌われる」
そう気づき始めたのは、たぶん中学生の頃だったかな〜。
当時、松田聖子が全盛期の頃で、テレビで見ない日は無かった。
僕はそんなに聖子ちゃんファンでも無かったのですが、僕の中では「可愛いし、歌も上手いし」ずっと見てられるなーと思ってました。
ところが、周りのほとんどが、いわゆる「聖子ちゃんバッシング」をしてました。曰く「◯◯の方がキレイ」「◯◯の方が歌が上手い」と。
僕は心の中では「そーかなー?松田聖子の方が可愛いし、歌唱力もあるでしょー」と思いながら、実際には小泉今日子(キョンキョン)のレコードを買って喜ぶという、当たり障りのない小心な少年でした(笑)
月日が流れて、
最近ふと「あ、俺、ぶりっ子が好きなんだ」と気づいたというか、思い出したんです。
仲良くなる女性とか、友達になりたいな〜とか思う女性は、
だいたい「ぶりっ子」です。
正確には「ぶりっ子」要素を持ってます。
僕が考える「ぶりっ子」の定義は、
・単純に可愛い子。
・自分の「魅せ方」を天性の感覚で知ってる子。
・ふと見せる憂いの表情が健気な子。
・真っ直ぐ過ぎて視野が狭い子。
・独特の世界観で生きていて「強い生命力」を持っている子。
あくまでも僕個人的な感覚でしか測れないのだけど、どれも計算では出来ないと思います。
サバサバした子がする「ぶりっ子」のフリはすぐバレます(笑)。
根にあるサバっとした性格は僕の前では隠せません(笑)。
サバ子はサバ子のままで、良いんです。サバ子はサバ子のままで、何も飾らないで、生きていて、
でも、力が抜けた瞬間に垣間見せる憂いの表情に「ぶりっ子」要素を見つけると嬉しくなるのも事実です(笑)
で、
どうして一般的に「ぶりっ子」は嫌われるのか?
僕はぶりっ子が好きなので、嫌う心理は分からないのですが、
たぶん「眩しい」んだろうと。
この「眩しさ」に僕は惹かれるわけですが、「眩しさ」に慣れてないと目を背けたくなってしまうのかもしれません。
自分には無いものに「眩しさ」を感じて見てられないから嫌ってしまうのかも。
でも実は、
自分に無い、と思い込んでいるだけで、ホントは自分の中にも同じモノがあるからこそ惹かれるのだと思うのです。
「好き」と「嫌い」は必ずセットになっていて、「嫌い」も受け入れた瞬間に「好き」も付いてくる。
そんな感じなんだろうなと。
僕も世間の常識にどっぷり毒されて生きてきたので「ぶりっ子」は嫌いと思い込んでいた時期もあります。
でもね、「好き」なモノは好きなんですね。
mikiさんと出会った時、彼女は上の「ぶりっ子定義」を全部やってのける正に「天然物のぶり」でした(笑)
最初、その脂ののった「ぶり具合」は苦手でした(笑)
そこだけ取り出すと嫌いでした(笑)
でもね、気づいたんですね。
「嫌い」の裏に潜む「面白い」に!
「嫌い」という感情は、だいたいが「世間体」に合わせて作られた感情でしかないので、
その時は、気づきませんでしたが、「嫌い」を受け入れて「好き」を同時に手に入れてたんですね。(ってmikiさんに話したら、「なに言ってるの結局、好きだったんでしょ〜」と返されました(笑))
そして今がある。と。
振り返って見ると「好き」だけを手に入れようとした恋愛はどれも上手くいってないのも事実です。
結婚してからも、
自分の良い部分「好きな部分」だけを見せようとしてる間は、どこか無理が出てきて苦しみましたね^^;
東洋鍼灸院のキナタツに出会って、
「ホントの自分」を考えるようになってから、だんだんと「嫌いな自分」も出せるようになって、そこから本当の意味での「人間関係」づくりを夫婦で学んでるなーとつくづく思うのです。
まあ、長いノロけ話しになってしまいましたが(笑)
今回、押さえておきたいポイントは、人は誰でも「光るもの」に反応するということ。
人それぞれ、何に「眩しさ」を感じるかは分かりませんが、
「眩しさ」に反応したら、自分も同じ「光り」を持っているコトに気づくチャンス!ってことですね♪
「己れの光りに気づく鯖などいない」
意味もなく名言風で締める(笑)
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