いつのまにか
自分<お金
という感覚が植えつけられてる。
「自由」に囚われてしまう感覚と
似ているのかも。
ある人が、
勝手に◯◯と△△を結びつけてしまう行為を「観念」という。
「人間は自由だ」
と声高に叫ぶ大人ほど「自由」になれてないのは、理想的な「自由」を夢見ながら、
自由=自分勝手に生きている人
自由=簡単になれるはずないモノ
自由=汚いことやってる人
自由=いかがわしい事やってる人
そんな「観念」に無意識のうちに囚われている。
のかもしれない。
そして、そういう状態を探し出しては、「ほらやっぱり世の中おかしい」と言いながら、また声高に「人間は自由に生きる権利が…!」とやり始める。
と、
いうことは
もしかして
だけど
「自由」って
自分勝手に
簡単に
いかがわしく
汚いこと
そんな「やってはいけない」
と思い込んでたり
そう「見えている」だけのこと
をやって「嫌われてしまう」かも
と感じて「できない」…
あれ?
それって、
「自由になってはいけない」
って例の
自分流にアレンジして
自作自演してるだけじゃね?(笑)
いや、
ホントのホントに
人間は自由に生きていいんだ!
とそろそろ観念しよう(^O^)
自分勝手でワガママで、ときどき粗相して嫌われながらも、確実に愛され続ける我が家のえんじぇる。
絡み合った「観念」のほどき方はこちらの本で↓
「自由」がうらやましくて許せない方はこちら↓
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