誰かが自分で「自分」に殺されることは有名人でもない限り、
騒がない。
殺す
という言葉を
「無視する」
「無かったことにする」に
置き換えてみたらどうだろう?
その対象が
自分の「感情」だとしたら?
誰かに無視された「感情」
誰かに無いことにされた「感情」
も辛いけど、
自分で、無いことにした「感情」
の方が、どれだけ陰惨な心を生み出すか...
他人の「感情」にかまっている暇があったら、
自分の「感情」を大切にすることが、
どれほど優しさと勇気のいることか。
好んで争う人も
好んで争わない人も
どちらも間違っていない。
他人にキチンと「合わせる」よりも
自分がキチンと「開き、なおる」ことを、怖がらずに、
もっとヘタレな「わたし」を守ることに力を注いでいこう。
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