「こころを学んでいるひと」あるある
「あるがままに、自分らしく」、
を一所懸命学んで、
「あるがままに、自分らしく」
を実践しようとすればするほど、
実は、学んでない人の方が
「あるがままで、自分らしく」
生きていることに
気づいて愕然とする。
「私よりあるがままだし気楽そうだし...」(笑)
そう、
学んで何かを「得ようと」してる間は、
何かが「無い」「足りない」という前提で生きているから、
「あるがまま」という「武装」で余計に重く、苦しくなってしまう。
果ては、自分よりも「あるがまま」度が低い人
(と勝手に決めつけてる人)
を見つけては、
ホントの「あるがまま」とは程遠い
「捻じれたまま」の
「あるがまま」論を
頼まれてもないのに(笑)
押し付けてしまう。
本当に「あるがまま」で
幸せな人は、
わざわざ
不幸な人の
不幸のジャマ
をしたりはしない。
幸せよりも
不幸に敏感に
なってしまうのは、
「無い」「足りない」
が強すぎて、
心の穴を埋めるため
他人の評価が欲しいから。
あー、
今すでにもう
ぜんぶ「ある」ことに
気づけば
「得よう」とする
必要はまったく無いのに。
「こころのこと」を学ぶ必要があるのだとしたら、
人はどうしても偏った
「考えグセ」があるから、
その偏ったクセを
「本来のあるがまま」に
チューニングし直しするために
「あるがまま」が既に出来ている
「自由でお気楽で楽しい人」に
会い続けることに
意味があるのだろうな〜。
で、
実は、
これが強烈な事実でもあるのだけど、
最高の「こころの先生」は
誰かと言うと、
毎週通っている
素敵で楽しい「先生」や
素晴らしい内容の本を
書いている「先生」
などでは無くて、
一番身近なとこに居る、
嫌いなあの人、
あり得ない上司、
苦手な客、
不機嫌なパートナー、
口うるさい父母、
だらしない旦那、
が自分にとっての
「最高の先生」
だったりする(笑)
その「最高の先生」たちは
本当は自分がやりたかったこと、
出来なかったこと、
やってはいけないと思い込んでること、
を意図も簡単にやり遂げている
「最高の神様」でもある(笑)
だから、
そういう「最高の先生」が
目の前に現れたときこそ、
「こころの学び」で感じた
本当の「あるがまま」を
知るチャンスなの。かも。
あなたの「あるがまま」は
すぐ目の前に
ずっと前から居る。
かも知れない^o^
「わたしの あるがまま はワガママ のまま愛されること♡」
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