ネガティブのままで

このブログで伝えたいテーマ(感情的な生き方をネガティブ視線で愉快に肯定する)を
端的に表現している記事を見つけたので転載。


ネガティブを
それでいいと
いえることが
ポジティブであり

ポジティブじゃなきゃ
いけないというのが
ネガティブだってこと

ネガティブを消そうっていうのが
本当のネガティブだってこと


http://ameblo.jp/aiiro161true/entry-11965592694.html

≪転載ここまで≫



今年の流行語
「ありのまま」
というのは
「そのままの自分でいい」という
ポジティブ思考の代表選手みたいな言葉ですが

テレビ番組のヨルタモリ
松たか子さんがゲストで出ていた回、
例のヒット曲の話題になり
タモリさんは、
そもそも「ありのまま」というのは意味が不明だと指摘。
「自分っていうものは常に変化してる。ありのままの自分なんてのは1秒もねえ」と。

それに対して 松たか子さんは、
「その一瞬の自分を歌っているのかもしれませんね」と、さらりと応えてました。

ありのままに生きている代表タモリさんは、
取り立てて「ありのまま」を美化する風潮に違和感を感じていたのかもしれませんね。



「ありのまま」には「ネガティブのままがいい」といいうのも含まれている。

ポジティブにならないと幸せにならないのなら、
それこそ不幸の連鎖は終わらない。

ネガティブな自分を許す
それどころか
ネガティブな自分だからこそ今がある
と全肯定する。



かつてタモリさんは、ネアカ、ネクラという言葉について聞かれた時に、こうも仰っています。

 《いまはワアワア言っているやつが根が明るいと言うわけでしょう。もうしようがないですね。宴会芸とかなんかを見ていますでしょう。そうすると暗いやつが明るく振る舞うんですよ。そこでも言うんですけど、暗いやつが明るいやつのように振る舞うのは見苦しくて悲惨もいいとこだ、暗いやつは暗いまんまで表現したほうが、かえって面白い場合がある》



タモリさんは、人間の「根」の部分を観察して、
その「おもしろさ」を抜き出し、
笑いに変換していく作業を意図も簡単に
やってのける天才です。

僕たち凡人にその天才的な 作業が可能かどうかはさておき、

そもそも人間の「根」の部分に
「良い」も「悪い」も無いはずです。

たまたま社会や世の中が
勝手に決めた「基準」があって、
そこからどれだけ離れているかを
だいだいの目測で測られて
ポジティブやらネガティブやら
明るいやら暗いとジャッジされているだけなのです。

本当は、自分の「根」は自分が「善し」とすれば
それでいいのだ。

きのう読んだこの本もそんなことが書かれていた。

「好きなこと」だけして生きていく。



で、ぼくの「ありのまま」ってなんだろう?

時々あるのが、酒の席で盛り上がり記憶喪失になり(笑)
翌朝、自己嫌悪に落ちる。
でもそういう時に限って、
「やっしー面白かった」「楽しい酒だった」「また一緒に行こう」
とよく声がかかる。

酒の力に頼りすぎるのもどうかと思うが、
普段なにげにブレーキをかけている事、言ってはいけないと勝手に
思い込んでいる事の中に本当の「ありのまま」があるのだろうなー。

「嫌われるかもしれない、怖いよー」
その先に
「ありのまま」で好かれる極意があるのかもね。

こちらもおススメ
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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