こんなに固いのはじめて♡

ちょっとお固いお話しからスタート。

新年度の4月から「生活困窮自立支援制度」というものがスタートするのはどれぐらいの方が知っているでしょうか?

詳しくはこちらをどうぞ↓  


とても乱暴な言い方をすると「生活保護」への雪崩れ込みを食い止めるための制度です。


僕は縁があってこの制度のある分野の仕事をさせて頂いています。

そこでは「働くこと」について色々と考えさせられることも多く。
ちょっと書き留めておきたいと思います。


さてさて、
現代の日本では
『助けてください』は簡単に言ってはいけない」
という暗黙のルールがあるような気がします。
ということで、これから書くことは
極めて私的な意見です。
怒らないで読んでください(笑)。


まず、
「生活保護」は良い制度だと思います。
個人的には、もっと簡単に受給できるようにしたらいいとも思います。
「心から働きたい」と思う人が一所懸命働いて、納税して
「働けない人」も「働きたくない人」も助けたらいいと思うのです。(反感を買いそうな書き方です。コラえてください(笑))


現実的には
リーマンショック以後、
国も行政も、
生活保護に流れる人を
どうしたら減らせるかについて、
一生懸命のようです。財政的なことを考えれば当然のことですが…



で、
「生活困窮者自立支援制度」周辺に存在している業種の事を、
僕個人的には「助けてあげよう」ビジネスと呼んでいます。


「助けてあげよう」ビジネスが広がって、
「助けてください」を言わせない空気を生み出している気がするのです。


簡単には「助けてください」を言わせない雰囲気。
どういうことかと言うと、
「自立支援」という名目で「何とか頑張れ」とお尻を叩いたり、
「納税義務」という義務事項で「当たり前だから」と諭したり、ということです。

国は「すべての個人の面倒までは見てられない」という「本音」を
「立ち直る努力を支援します」
という言葉に置き換えて、
頑張っていますが...
(なんか国を批判するような書き方にも感じますが、そうではありませんので^^;)



「助けてください」を言えない替わりに「困っているんだ」は言いやすかったり、態度で示しやすかったりします。



助けてください」と「困っているんだという態度
似ているようで、ちと違う。


支援する側は「困っている」状態を探すのが仕事にもなっていて、

支援が必要(ということになっている)な側は律儀に「困っている」状況を、例えば「不機嫌な態度」で演じているだけです。

この演技も自ら意図的に考えてやっているわけではなく、ほとんど反射的、本能的、無意識で「不機嫌な態度」を演じています。(語弊があるな〜^^;  ガマンして読んで下さい(笑))

  

「助けてあげる」は
人が「深く考える」チャンスを意図も簡単に潰してしまいます。


そして、
ここに世にも恐ろしい公式が成り立ってしまいますΣ(゚Д゚)(笑)

 困ったら=助けてもらえる

ここには、人の成長を促すエネルギーが存在しません。



そもそも、
世の中は、
「助けたい人」と、
「助けが必要な人」で
成り立っています。

本来、仕事とはそういうものです。(でした)。

「体力に負担をかけることなく遠くへ移動したい」を助けるために
「自動車」を作る仕事が出来ました。

「遠く離れている人と会話がしたい」を助けるために
「電話」を提供する仕事が出来ました。

「大切な人と会話を楽しみながら食事がしたい」を助けるために
「レストラン」という仕事が生まれました。

「泳げないけど海の幸をは味わいたい」を助けるために
「漁業」という仕事が存在しています。


ところが
いつの間にか、

お金がないと困る=はたらく

になってしまいました。



・お金が無いと困る=はたらく

・はたらく=困らないように
・困らないように=困ってはいけない

・困ってはいけない=人を困らせてはいけない

・困らせてはいけない=助けてと言ってはいけない

・助けてと言ってはいけない=けっきょく困る


という永遠の困っちゃうスパイラル公式の完成です(笑)



「助けて下さい」がなぜ言えないのか?
「助けて」の中には
「私は弱いです」
「私は間違えました」
「私は失敗しました」
「怖くて動けないんです」
「何も出来ないんです」
「私は無能です」
などが含まれています。

それを自分の口で言ったり、
それがバレることを
現代人、特に日本人は
「恥」だと思い込まされてきました。

「恥」をかくぐらいなら切腹する。

さすがに現代では「恥」のせいで切腹する人はいませんが、
切腹に相当するほど
「恥」がバレることは「ありえない」ことだという認識は強いと思います。

このことをもっと詳しく語るには、
人類が脈々と受け継いできた「劣等感」の歴史から触れないといけませんが、
長くなるので、次の機会に譲ります_φ( ̄ー ̄ )




そもそもの
そもそも(笑)

人は生まれて生きているだけで、
かけがえのない存在です。

働く(はたらく)とは
「側が楽(はたがらく)」になること。

自分の存在を活かすことが
誰かの役に立つ。

何か特別な事をしなくても
存在してるだけで良い。
存在してるだけで価値がある。


困るから働く
のではなく、
ましてや勤労の義務があるから働くのでもなく、
目に見えない自分の存在価値を
分かりやすく形にしたのが
「働く」ということ
なのです。


ここで
「問題」や「困ったこと」を
「無かったことにしない」
という大切な原則を挙げておきます。


色んな事がうまくいかない時は、
だいたいが、
問題が起きた時に、
バレたらマズイので「無かったことにしよう」とするからです。



ここに衝撃的な事実があります。
実は、
自分でバレたらマズいと思っていることは既にバレています。
そして周りは「あ〜何とか助けたいな」と思って、あなたの「助けて」を待っています。
 

分かりやすく、
ダイエットの例をあげてみます。


・太ってしまった
・バレたくない(もうバレてます(笑))
・でもどうしたらいいか分からない(バレ続けてます)
・誰かに痩せたいって言うと太ってるのがバレるし…(だからもうバレてます)
・どうにかゴマかそう(バレまくっています)
・どうにもならない
・もういいや、無かったことにしよう(バレてるし太り続けてます(笑))
・でも太ってることには変わりないからイライラ不機嫌になって周りに気を遣わせる(迷惑です)


で、ここで大事なのが
周りにバレているのは、
太っていること
ではなくて、
あなたが何か助けを求めている
ことがバレているのです。


じゃあ、どうしたらいいのか。

困ったなと思ったら
この呪文を唱えてみます。
私は私だから愛される価値がある


そして、これが重要なんですが、
どうして自分は
「助けて」が言えないのか?
ということを考えるのです。
そこにはさっき挙げた
「私は弱いです」
「私は間違えました」
「私は失敗しました」
「怖くて動けないんです」
「何も出来ないんです」
「私は無能です」
という自分を責める感情が隠れています。
この感情を一度しっかり味わって「無かったことにしない」ということが大切です。
その上で「私は私だから愛される価値がある」ということを唱えてから
「助けてください」と言ってみるんです。(だんだん偉そうな書き方になってきました、もう少しで終わりです)



困ったとき、
無かったことにして、
不機嫌になって、
周りに気を遣わせる、
のではなくて、

困ったら、
もうバレてるから
早いとこ助けてと言おう!
ってことです。


そうしたら、
「え?太ってる?どこが?」
「今のままで全然魅力あるよ」
「あ、でもこんな考え方もあるよ試してみたら」
「良かった。あなたが何か困ってる姿、見てられなかったんだ、言ってくれてありがとう。
となります。


あなたの「助けて」は「助けたい」誰かを「助ける」ことになるのです。


長々と小難しい制度の事から始まり、
最後まで読んで頂いてありがとうございます。

けっきょく何が言いたいのかというと、

困ったら
不機嫌になる前に
助けてと言う。
その前提として、
あなたはもともと
無条件に愛される存在だ。

ってことを今の現場でも実践して広めていきたいな。
ってことです。

よろしくどうぞ。




こんなのはじめて♡






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